令和三年の言葉

令和三年 十一月

我はただ 心を弥陀に 白糸の 称うる度に 染むと思えば
(徳本行者)

白糸が染まっていくように、私たちもお念仏を称えて身も心も素晴らしい色に染めあげていきたいものです。


令和三年 十月

咲けば咲きつつ実はみのる 散れば散りつつ実はみのる
散るも叉よし咲くもよし 秋の実りのまてしばし

草木は花を咲かし散らしながらも、その中で実を育んでいきます。
私たちも生活の中で、うまくいく時もあれば、うまくいかない時もありますが、この人生の先に悟りの実を結ばせたいものです。


令和三年 八月

われ称え われ菊なれど 南無阿弥陀仏佛 つれてゆくぞの 親のよびごえ

お念仏は私が自分の口で称え、そして私の耳に聞こえます。
その「南無阿弥陀佛」は阿弥陀さまが私を極楽浄土へ救いあげてくださる呼び声なのです。


令和三年 七月

老いたるも 若きも同じ 朝顔の 梅雨よりもろき わが身なりけり

老若男女を問わず明日の命も分からない私たちであります。
今日を精一杯生きるとともに、後世の安穏を願いましょう。


令和三年 六月

ただ心を回して多く念佛せしむれば 能く瓦礫をして変じて金となさしむ
『選択集』より

錬金術は自然科学の法則に反します。しかし阿弥陀さまの前ではそうではありません。
阿弥陀さまにお念佛を素直にお称えすることで、瓦礫のような私たちが金へと生まれ変わります。極楽浄土の蓮の上に清らかな身で生まれ往くことができるのです。


令和三年 五月

身は娑婆に 心はいつも極楽に 南無阿弥陀佛と 唱へゐる人
(徳本行者)

私たちは悩み事の絶えない人の世に身を置いていますが、南無阿弥陀佛をお称えする方の心の置きどころは極楽となっています。苦しみを離れた、楽の極まるところを自身の中心に据えてまいりたいものです。


令和三年 三月

弥陀の名号称うれば 嬉しや花の春彼岸 衆善奉行の 浄土なり
(彼岸和讃)

吉水流詠唱「彼岸和讃」の一節。
弥陀の名号「南無阿弥陀仏」をお称えして生まれ往く極楽浄土は、美しい花が枯れることなく咲き、みんなが善い行いを積み重ねる素晴らしいところです。


令和三年 二月

念佛は 弥陀にも利生の本願 釈迦にも出世の本懐なり
(法然上人)

浄土宗開祖・法然上人のお言葉。
お念佛「南無阿弥陀仏」をお称えすることで私たちは必ず極楽往生することができます。それは阿弥陀さまがお誓いくださったことであります。さらに言えば、お釈迦さまがこの世にお出ましくださったのは、このことを私たちにお伝えするためであるのです。