令和二年の言葉

令和二年 十二月

佛の御名を唱うれば 明けく正しく和やかに
永久に生かされ健やかに 心も身をも育ちゆく
(十夜和讃)

吉水流詠唱「十夜和讃」の一節。
佛の御名「南無阿弥陀仏」をお称えすることで、明るく・正しく・仲良く、身も心も平安に生きていくことができます。その日々にもやがて終わりがやってまいりますが、阿弥陀さまの極楽浄土へ生まれ往く私たちは、永遠の幸せを育んでまいるのです。


令和二年 十一月

佛の御名を唱うれば 明けく正しく和やかに
永久に生かされ健やかに 心も身をも育ちゆく
(十夜和讃)

吉水流詠唱「十夜和讃」の一節。
佛の御名「南無阿弥陀仏」をお称えすることで、明るく・正しく・仲良く、身も心も平安に生きていくことができます。その日々にもやがて終わりがやってまいりますが、阿弥陀さまの極楽浄土へ生まれ往く私たちは、永遠の幸せを育んでまいるのです。


令和二年 十月

我等は何して老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ
今は西方極楽の 弥陀の誓いを念ずべし
(塵秘梁抄)

遊女の作と伝えられます。日に日に老いを感じるようになる中、振り返ってみれば、私の人生は思い通りにならないことも多く哀れなものでありました。生きるためとはいえ、人に胸を張れないことも少なからずしてまいりました。
今、私に残されたものはお念仏だけです。憂い煩いのない極楽浄土に救ってくださる阿弥陀さまを念じて、残りの命を歩んでまいります。


令和二年 九月

弥陀の御名 称ふる声の 絶へ間なき 吉田寺こそ 尊かりけり

弥陀の御名を称える「南無阿弥陀仏」の声が絶え間なく聞こえる吉田寺の姿は尊いものである。コロナウイルスの感染拡大など、この世には様々な荒波がありますが、古に詠まれたこの歌がこれから先も頷かれる様にありますように。


令和二年 八月

極楽の 弥陀の浄土へ いきたくば 南無阿弥陀佛 口癖にせよ

日々の暮らしの中で南無阿弥陀佛をお称えしましょう。
口癖のように自然に声に出るようになったならば、阿弥陀さまの極楽浄土へ参ることができるでしょう。


令和二年 七月

親が拝めば 子も拝む 拝む姿の美しさ

子は親の言うことを聞くとは限りませんが、親のすることはしっかりと見ています。
子に善いものを与えてあげたい思いから、親も学ぶことがあるでしょう。


令和二年 六月

五濁の憂世に生まれしは 恨みかたがた多けれど
念佛往生と聞くときは かえって嬉しくなりにける
(記主禅師  十四歳の時)

浄土宗三代・記主禅師良忠上人若かりし頃の言葉。
この世は五濁(劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁)がはびこる心穏やかにありにくいところです。悩みごと・苦しみごとは絶えないけれど、濁りのない世に生まれ往くことのできるお念佛にお出会いできたことを思うと、嬉しい思いにさせてもらえます。


令和二年 四月

念佛は 弥陀にも利生の本願 釈迦にも出世の本懐なり
(法然上人)

阿弥陀さまばかりではなく、お釈迦さまはじめ多くの仏さまが私たちにお念仏をお称えするようにお示しくださっています。共々に「南無阿弥陀仏」に励みましょう。


令和二年 三月

専心に念佛して 想を西方に注むれば 念々に罪除こる 故に清浄なり
(善導大師)

唐代に浄土教を弘めた善導大師のお言葉。
「南無阿弥陀仏」と声に出して称え、西方極楽浄土に生まれ往きたいと一心に願うことで、阿弥陀さまのお慈悲で私たちの罪障は取り除かれ清らかな身となり、往生浄土が叶うのです。


令和二年 一月

あらためて 祝う言葉も なかりけり 南無阿弥陀佛の み名の外には
(山崎弁栄上人)

大正時代に光明主義を唱えた山崎弁栄上人のお歌。
新年を祝うおめでたい日ではありますが、お正月でない日々にも私たちは阿弥陀さまから一日の命をあずかり、恵みやお蔭をいただき、ご加護の中に生活をしています。
お念仏に勝る祝いの言葉はありません。