平成三十年 十一月
善き事も 悪しき事をも 鏡とぞ 人を見分けて 我が身をば知れ
仏教は私自身への教えです。善い事をなさる方がいらっしゃれば、自身はそうできているだろうかと問いかける。悪事をはたらく方を見かけたら、自分にもそういうことがないだろうかと省みる。
平成三十年 十月
この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日のつとめに 田草とるなり(二宮尊徳)
今年の秋は台風や地震など災害に度々見舞われます。そんな中でも与えられた務めに励んでまいりましょう。この世では予期せぬ様々な苦しみ・悲しみが降りかかってまいりますが、頂戴したお念仏の勤めを一筋に生きてまいりましょう。
平成三十年 九月
生きるとは 悲しきことよ いのちとらねば 生きられはせじ
私たちは誰しも生きるためには他の命を取らねばなりません。そればかりでなく、様々な悪業を重ねながら、日々を送っていることから目を背けてはなりません。
平成三十年 八月
阿弥陀佛と 心は西に 空蝉の もぬけ果てたる 声ぞ涼しき
浄土宗祖・法然上人が念仏三昧の境地を詠まれたご道詠。阿弥陀さまのいらっしゃる西のお浄土へ心を預けきることで得られる心の穏やかさは、セミの抜け殻のように我がなくなった涼やかなものであります。
平成三十年 七月
ただ弥陀の本願の船に乗りて 生死の海を渡り 極楽の岸に着くべきなり
浄土宗祖・法然上人のお言葉です。生まれた限りは必ず死に、出会った限りは必ず別れる―私たちの前にはどうすることも出来ない苦しみの海が広がっています。ただ、その岸に阿弥陀さまは本願―お念仏の船を出してくださっています。お念仏をお称えし、苦しみを乗り越え、極楽の岸に参らせていただこうではありませんか。
平成三十年 六月
いかるがの しみずのてらの あみだぶつ ふかきおじひを あさなゆうなに
吉田寺の阿弥陀さまはいつも優しく私たちをお慈悲で包んでくださっています。
平成三十年 五月
平生に 今臨終と 南無阿弥陀佛 申すにすぐれる 思いはなし
明日がやってくるとは限りません。今日の命があるのは当たり前ではありません。尊き命と仏縁を有難く頂戴しながら、お念仏を今お称えしましょう。阿弥陀さまは必ずお浄土へ救い取ってくださる―それに越した生き方はありません。
平成三十年 四月
極楽は 遥けきくにと おもひしに 南無阿弥陀佛に かよふあしもと
椎尾辨匡上人御作。覚りの世界―極楽浄土は遠く離れたところだと感じてしまいがちです。しあし、お念仏をお称えすることで阿弥陀さまが救ってくださるとを頂戴したならば、とても身近で親しいところだと感じることができるのです。
平成三十年 三月
ゆく末も 今の此のまま 南無阿弥陀 ほとけとともに 永遠のいのちぞ
山崎辨榮上人御作。お念仏を称える私たちのゆく末は阿弥陀さまの極楽浄土です。それを思いながら今を生きてゆきましょう。私たちの肉体は限りあるものですが、阿弥陀さまと共にあるならばそれは永遠の命となるのです。
平成三十年 二3月
月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ
法然上人御作の「月かげのご詠歌」。阿弥陀如来さまはお念仏をお称えするお方を必ず西方極楽浄土へお救いくださいます。夜空の月がいつでもどこでも見上げるお方を優しい光で照らしてくださるように、お念仏をお称えする私たちは阿弥陀如来さまのお慈悲を受け取ることができるのです。