令和四年十一月
人の世の 憂き悲しみの 谷底を 静かに見つめる 弥陀の月影
(藤井実應猊下)
浄土門主も務められた藤井実應上人の一句。
阿弥陀さまのお慈悲の光明(月影)は知らずのうちに私たちを照らしてくださいます。
憂いや悲しみを自覚したときにこそ、その静かな温かさを受けとることができるのです。
令和四年十月
ほとけと はなしを するときは 称名念佛 これがはなしよ
(浅原才一)
浅原才一は江戸末期を生きた石見国(島根県)の妙好人です。
阿弥陀さまとご縁を結ぶには、称名念佛(南無阿弥陀仏と声に称える)に勝る方法はありません。
令和四年九月
南無阿弥陀佛 三塗勤苦の 門やぶり 放生会をなす 無量無辺の
(徳本行者)
放生会では鳩・魚にお念仏「南無阿弥陀佛」を授けます。
大きな功徳を受けた鳩・魚は三塗(地獄・餓鬼・畜生)の苦しみから解放されてゆきます。
そしてそれは私たちにも同じことが言えるのです。
令和四年八月
亡きお方 ご先祖さま 更には 無縁の諸霊にも お念佛を捧げよう
先立たれたお方やご先祖さまが、お盆には私たちのもとにお還りになりますので、
私たちは精一杯のおもてなしをさせていただきます。
それと同時に、一見縁がないように思える他の多くの霊にも
等しく供養をしてゆくのがお盆の本当の心です。
令和四年七月
誰も知る 南無阿弥陀佛と 一筋に 唱えてこそは 尊かりけり
多くの人がお念仏「南無阿弥陀佛」を唱えればよいことを知っています。
ただし、実際に唱え続けたお方だけが、その尊さを味わうことができることでしょう。
令和四年六月
一世の勤修は これ須臾の間なり なんぞ衆事を棄てて 浄土を求めざらんや
『往生要集』 慧心僧都源信
この世での一生涯は長いようであっという間です。
一方、極楽浄土では永遠の安楽を得ることができます。
刹那の享楽を追求するより、往生浄土のためにお念仏に励むべきです。
令和四年五月
称うれば ここに居ながら 極楽の 聖衆の数に 入るぞうれしき
(空也上人)
お念仏「南無阿弥陀佛」を称えてみましょう。
極楽浄土にいらっしゃる佛さまや菩薩さま、さらにはご先祖さまと心が通う心地がします。
令和四年四月
無量寿を 含む一日 またとなき 今日のいのちを 尊く生きん
(田中木叉上人)
今日この一日を含めて、阿弥陀さまはいつ何時でもおいでになります。
二度とやってこない今日という日を一生懸命に生きていきましょう
令和四年三月
世の中は 偽り飾り くねるとも ただ正直に 衆生 念佛ばかりは
世の中は偽りや体面だけを繕ったものばかりで、私たちの心は疑いと不安に満ちています。
阿弥陀さまがお示しくださったお念佛だけは間違いのないものですので、この命綱を頼りに生きていきましょう。
令和四年二月
衆生 佛を禮すれば 佛 これを見給う
(法然上人)
阿弥陀さまに手を合わせましょう。
阿弥陀さまは私たちを常にご覧になり、そしてお護りくださいます。
令和四年一月
またとなき日の 今日の日ぞ 歓喜みなぎる 身をささげ いざや勤めん この一日
(田中 木叉上人)
今この一瞬は、後にも先にもこの一瞬にしかありません。ゆめゆめ無駄にしませんように。
今日一日。大切に精進してまいりましょう。