縁起
創建と恵心僧都源信
吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都(源信)によって開基された。
恵心僧都は、お念仏を称えることで極楽往生が叶うことを早くから説いた。著書である「往生要集」は、鎌倉時代の法然上人や親鸞聖人にも多大な影響を与え、日本浄土教の先駆けとなった。
ぽっくり往生の寺
吉田寺の御本尊は恵心僧都が母のために発願した丈六阿弥陀如来像である。
臨終が近づいた母のために、恵心僧都は浄衣をお着せになり、お念仏「南無阿弥陀佛」を称えられた。母は阿弥陀如来さまのお迎えをいただかれ、眠るように安らな極楽往生を遂げられた。恵心僧都はその尊いお姿に感銘を受けられ、母の追善供養と末世衆生救済のため、一刀三礼の中に丈六阿弥陀如来像を顕された。
この因縁から、丈六阿弥陀如来像の宝前で御祈祷を受けると、寿命を全うした後に長患いすることなく穏やかに極楽往生することができるという霊験がある。「シモの世話にならないように」と願いを込めて、肌着などを持参して御祈祷を受ける「ぽっくり往生の寺」の信仰が今日まで続いている。